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映画『追憶』元日本軍海軍上等水兵が明かす、パラオのペリリュー島で何が?

小栗監督と土田さん、映画『追憶』公開初日イベントにて

©2015「追憶」製作委員会

[シネママニエラ]元日本軍海軍上等水兵の土田喜代一さんが、ドキュメンタリー映画『追憶』(小栗謙一監督)の公開初日に駆けつけ、観客の前で当時のことを振り返った。

元日本軍海軍上等兵・土田喜代一さんが当時のペリリュー島での経験を語る! ©2015「追憶」製作委員会

升本喜年著の「愛の手紙』~ペリリュー島玉砕~中川州男の生涯(熊本日日新聞社刊)を原案とした本作は、小栗謙一監督が、米国防省、米海兵隊歴史部、米国立公文書館に保存されていた膨大な映像と日本の自衛隊第8師団、NHKに残る貴重な資料によって真実を描き出していく。

配給会社によると、日米双方からの膨大な資料映像が観られる作品はこれまで前例がないとのこと。劇中の語りは美輪明宏が担当した。1944年、ペリリュー島では日米合せて1万を超す命が、この地に散った過酷な戦いがあった事は今まで語られる機会が少なかった。

土田さんは元日本軍海軍上等水兵で、昨年4月9日、天皇・皇后両陛下がペリリュー島に慰霊に訪れた際にも来島した。以下、土田さんのお話しを抜粋。

「今日はみなさん、ありがとうございました」と観客に挨拶。そして「若い人は今、どんなふうに戦争を感じているのだろうか。当時、私は陛下のため、陛下のためと一生懸命がんばったものです。ペリリュー島にいることも知らずに、その場で死んだ戦友34名のほとんどが、今はもう死んでしまったわけですけど、陛下が慰霊のために島まで来られるとは思っていなかったと思います」

土田さんは(終戦して)1年8か月も経ち、日本人34名が隠れている場所を言えないという状況下、アンガル島へ現状を確かめに出向く。そこで本当のことを知るには敵に聞いたほうがいいと思い立ち、島を走っていたジープを止めて、運転していたアメリカ人に尋ねた話も。

すると「(運転手は)アメリカと日本が戦争していたことすら知らなかった」という結果に。「34名は生き延びたんだから、なんとか日本に還さないといけない、ということで私たちは国に還れました」と振り返り、「私が手を挙げたとき、運転していたアメリカ人はビックリしたらしいですよ」と話し笑顔をみせた。

そして最後に「戦争というものは、勝っても負けてもなんにもならない。何回ももう駄目だと思っていたけれど、弾がひとつも当たらなかった。あの時、どうして弾が当たらなかったのだろうと思いますが、戦争の激しさを(後世の)みなさんに伝えて欲しいという何かしらの力が働いて、こうして日本に還って来られたのではないかなと思っています」と話された。

映画『追憶』あらすじ

1944年4月26日、中川州男大佐率いる第二歩兵連隊がペリリュー島に上陸。大佐はこれまでに類を見ない水際陣地と復廓陣地の構築に取り掛かかり、熱帯の太陽の下、全島を珊瑚の自然洞窟を利用した要塞化し、米軍の砲火から身を守る堅牢な洞窟陣地を築いていった。アッツ島以降続けてきた組織的な「突撃」を禁じ、米軍指揮官が当初「2~3日で終わる」と広言した戦闘は70日間に及んだ。
9月15日、フィリピン奪還を悲願とする米国軍は、日本の信任委任統治領パラオ攻略に乗り出し、ペリリュー島上陸を果たす。
(2015年/日本映画/DCP/5.1ch/76分)

映画『追憶』予告編


©2015「追憶」製作委員会

小栗監督と土田さん、映画『追憶』公開初日イベントにて

映画『追憶』(太秦 配給)は2016年11月5日[土]より東京都写真美術館ホールほか全国順次公開
公式サイト http://www.tsuiokutegami.net/
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