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妻夫木聡×松山ケンイチ 山下敦弘監督を絶賛!

[シネママニエラ]5月24日、映画『マイ・バック・ページ』主演の妻夫木 聡×松山ケンイチの豪華2ショットに加え、メガホンを執った山下敦弘監督が揃って、大阪の堂島ホテルにて記者会見を行った。神戸で行われた撮影の裏話や大阪の印象などを語り、会見の最後には映画の大ヒットを祈願して“ダルマ”に目を入れた。

映画の大ヒットを祈願して“ダルマ”に目を入れた

同作は元新聞記者で文筆家の川本三郎氏が、ジャーナリスト時代に経験した日々を綴ったノンフィクションが原作。ボブ・ディランの楽曲をタイトルにつけたという。物語は、‘69年から72年の日本を舞台に、“梅山”と名乗る学生活動家の片桐優を演じた松山に、理想に燃える若きジャーナリストの沢田雅巳に扮する妻夫木聡が関わったことから、ある事件に巻き込まれていく姿を描く。実際の事件を基にして、作り上げた衝撃と感動のドラマは、邦画史に刻むべき青春映画の傑作といえるだろう。

山下監督は、「大阪には8年間、住んでいてとても慣れた土地。今回、関西(神戸)でも撮影して、お世話になったので、こういう形で帰ってこれて嬉しいです。クランクイン後の最初2週間は神戸で撮影したんですが、スケジュールに余裕があったので、妻夫木君とは食事に行って話し込み、沢田というキャラクターを作り上げました。すごく重要な期間でした」と懐古。

そして映画『悪人』に続き本作でも新境地を開いた、妻夫木は、「大阪は、どこの場所よりも距離感が近いのが嬉しい。どんな作品でも温かく迎えてくれて、“この人達、一緒に作ってくれたか?”と思うほど。いつもありがたく感じます。食も楽しみで、食い倒れたいなと思っています(笑)」と述べ、続けて「神戸撮影中、監督と話し合った内容は濃かったです。その頃の人達は何を考えていたか?ジャーナリズムとは何だろう?など大枠での話をしていました。あと、お肉が美味しかった」と振り返った。

また「監督の映画は人間の良い所ばかりではなく、悪い所も見せて、その“人間ってダメだな”と思う所が逆にかわいく見えてくる。撮るのがすごく上手い方で、この方の演出を受けてみたいと思っていました。山下監督は、見た目がおもしろくて、かわいらしい(笑)。映画を観てコメントを求められる事が多いですが、自ら“コメントを出させて下さい”と言ったのは、監督の『天然コケッコー』だけ」と明かした。そして本作の出演を経て、「1960~70年代は、今の時代を生きる僕としては、個人で物事を見てしまう様な、もっと大きなものと戦っていたと思う時代。今よりパワーがあった。岡本太郎展に行ってわかったのですが、人間の可能性って限りない。想像は自由でいいと思う。何かに向かっていく、何かを見据えた上でのはじめの一歩が60~70年代は感じる」と持論を展開した。

松山ケンイチ

本作でも難役に挑んだ、カメレオン俳優・松山は、「大阪ではキャンペーンが印象に残っていて、舞台挨拶をいつもやらせて頂くのですが、お客さんのパワーがすごく熱いです。山下監督の作品は2作目ですが、『リンダ リンダ リンダ』の時はお芝居がわからなくて、付いていくのが必至でした。監督には助けて頂いたので印象に残っています。すごい力だなって思いました」と振り返り、続けて「1960~70年代というのは、この時代のマンガ原作(『カムイ外伝』『銭ゲバ』)の仕事をやらせてもらう機会がありましたが、今のマンガと違う。大きな物に向かって戦いに挑んで行く、勝ち取っていく。当時の若い人達は見ている方向が違う。とても興味があった」と語った。妻夫木 聡×松山ケンイチが己の信念を貫く男たちを好演。ともかくラストが素晴らしいので、是非、劇場で確かめて。

映画『マイ・バック・ページ』ストーリー

1969年。理想に燃えながら新聞社で週刊誌編集記者として働く沢田(妻夫木聡)。彼は激動する“今”と葛藤しながら、日々活動家たちを追いかけていた。それから2年、取材を続ける沢田は、先輩記者・中平とともに梅山(松山ケンイチ)と名乗る男からの接触を受ける。「銃を奪取し武器を揃えて、われわれは4月に行動を起こす」沢田は、その男に疑念を抱きながらも、不思議な親近感を覚え、魅かれていく。そして、事件は起きた。沢田のもとに「駐屯地で自衛官殺害」のニュースが届く。

日本公開=2011年5月28日
配給=アスミック・エース
©2011映画『マイ・バック・ページ』製作委員会

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