映画『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』( 原題=A MOST VIOLENT YEAR )監督インタビュー

映画『アメリカン・ドリーマー』は「ジェシカ・チャステインが決定打だった」

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人生を懸けてこの道に進むチャンス

映画『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』メイキング写真②
©2014 PM/IN Finance.LLC.
ジェシカ・チャステインとは2011年、(初監督作の映画)『マージン・コール』が賞レースに呼ばれ、いくつかの授賞式で会ったんだ。あれは彼女が輝いていた年で、すばらしい映画の数々に出演していた。僕はまだ新人で、新人作品賞とか新人監督賞とかをありがたく頂戴したんだ。そして、ジェシカが僕の映画『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』のワールドプレミアに来てくれた(カンヌ映画祭)。こんなことを言うのはおかしいけれど、彼女は映画を見るのが大好きでね。だからただ映画を見るために、カンヌに来ていたんだ。そのカンヌで誰かに『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』の存在をリークされてね。それがこの映画の制作発表になったわけだが、とても興奮した。

もし『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』のウケが悪かったら、そんなことにはならなかっただろうからね。カンヌで過ごした数週間は夢のようだった。僕のキャリアが確かな地盤を得たんだ。人生を懸けてこの道に進むチャンスが得られるかもしれないと思ったよ。

ジェシカへの出演オファーは、僕たちが参加した米国エイズ研究財団amfARの催しの後に大きなパーティーで。あいにく天気が悪くてホテル・デュ・キャップの中庭が閉鎖されてしまってね。本来はそこに3,000人くらいが入る予定だったから、結果的に、大勢が小さな部屋にすし詰め状態になってしまった。ジェシカは小さな長いすに座っていたんだけど、僕たちを見て同席しないかと誘ってくれたんだ。そこで彼女に新しい作品のことを聞かれたから、僕はぎこちなく出演の話を持ちかけた。一緒に座っていると、そういう話題になるものなんだ。「とても面白そうね、脚本を見せて」と彼女は言ったが、その時に出演は決まったようなものだった。

それでジェシカが僕に、オスカー・アイザックを薦めてきたんだ。「彼の母親はグアテマラ出身で、父親がキューバ出身。本人はマイアミで育って、ジュリアード音楽院に入り、ウィリアムズバーグに住んでいて、コーエン兄弟の最新作(『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』)に出演しているから、会ってみて。アベル役は彼よ」とね。ジェシカは、その気になるととても粘り強い人で、しつこくオスカーを薦めてくれた。実はすでに彼に決めていたんだけどね。去年の10月、彼女は4ページにわたるメールで、オスカーがアベル役にふさわしい理由を力説してくれた。僕はそれに1行だけの返事をしたよ。「彼をキャスティングするけど、まだ伝えないでくれ」と(笑)。

テルライド映画祭でオスカー・アイザックと初めて会った時、彼は『Ex Machina』出演のためにひげを伸ばし、頭髪を剃っていた。僕の思い描いていたアベルとは全然違う姿だったね。「ひげは剃ればいいから心配しないで」と、彼は言った。そこから定期的に会うようになったんだ。オスカーはアーティストだし、このストーリーに深い思い入れもある。本人に話をしたら、アベル役に本質的な共感を覚えたようだった。彼が住んでいるのは、この映画の舞台でもあるウィリアムズバーグだ。もちろん、30年前とは随分変わってしまっているがね。一緒に歩き回ったり、当時の産業の遺物を見せたりして、一から徹底的な役作りを始めたんだ。

俳優たちとの仕事は最高だったよ。4年間で僕が手がけた3作の映画を見てほしい。1作目(『マージン・コール』)の時は、とにかく頑張ろうと必死だった。脚本の出来は信じていたけれど、長編映画の経験もなかったし、あれほど豪華なキャストも初めてだった。だから新人監督なりの自信を持って、脚本を聖書のように扱った。あの作品では、「出演者に求めることをよく分かってるね」と多くの俳優に言われたよ。彼らには自由に演じてもらった。でも監督として、必要がある時には引き戻す。それが俳優の求めていることだと思う。彼らは作品の完成形が分かっている人が欲しいんだ。完成形が分かっていれば、俳優として、その形になるように導いてくれる。当時の僕には分かってなかったけどね。なにせ相手はケヴィン・スペイシーとジェレミー・アイアンズだ。余裕なんてなかった(笑)。

2作目(『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』)のような映画は、もう作れないだろう。俳優との関係は他に類を見ないものだった。相手はアメリカの伝説、ロバート・レッドフォードだ。彼は地に足の着いた人でね。友達になれてとてもうれしかったよ。一緒に仕事をしている時も優しい人なんだ。でも、あの経験自体は奇妙なものだった。監督の僕がいて、演技する俳優は彼一人だ。つまり毎日、お互いの顔を見つめ合って撮影している。その後の編集工程は不条理な感じすらあったよ。画面がとても孤独だったんだ。出演者が1人だからね。本当に映画が完成したのかすら、はっきりしなかった。映画として成立していればいいと願ったよ。

それから『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』だ。本作では僕の同年代で、同じようなキャリアの段階にいる人たちと現場に立っている。皆、しかるべき理由でそこに立ちたいと思っているから、誰もがベストを尽くす。子供の頃から約20年もこの道で古典的な訓練を受けてきた俳優たちと一緒に仕事をしてるんだ。監督としてそういう人たちと仕事ができるのは、すばらしいの一言だね。おかげで演技以外の心配ができる。映画をより良いものにすることに集中できるんだ。彼らはきちんと準備し、全力で当たってくれると分かっているからね。

そういうものが形になり始め、カメラに収められていくのを見ると思うんだ。「これだけの出来事があり、これだけの人々が集まって僕が書いたせりふを言ってくれるなんて、すごい。おかげで随分、楽ができる」。

彼らのおかげで映画監督として、更なる自信が生まれたよ。撮影現場の最初の数日、オスカーとジェシカを見ると、愛し合いながら「成功したのはどっちのおかげだ」と競い合っているようなエネルギーのほとばしりを感じた。この2人はかつて情熱的に愛し合っていて、今でもその愛が残っているのだと思えるほどだった。オスカーとジェシカはジュリアード音楽院の同窓生で、そこでは誰もが互いに競い合っていたんだ。嫌な競争ではなく、楽しい競争だよ。

映画『アメリカン・ドリーマー 理想の代償』(2015年10月1日公開)

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